黒川紀章とタンザニア

図書館でたまたま『マッキンゼー:世界の経済・政治・軍事を動かす巨大コンサルティングファームの秘密』(ダイヤモンド社)という本を見かけて、手に取りました。日本での刊行は2013年。ニューヨークを拠点に活躍するカナダ人ジャーナリストのダフ・マクドナルド氏が、謎のヴェールに包まれていた巨大コンサルティング・ファームの姿を、OBや関係者の証言から描き出したノンフィクションです。

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マッキンゼーとは何かについて、彼は序章でこう述べています。

”コンサルタントという職業は、何世紀も前から存在している。古代中国の思想、法家の代表的人物であり皇帝の助言者であった韓非が、最初のコンサルタントだと言われている。しかしそれでも、マッキンゼーは驚くほど多くの点に関して「最初」だと主張することができる。科学的なアプローチを現実的に経営に取り入れ、仮説とデータ、証拠を用いる手法でビジネスの問題を解決した最初のコンサルティング・ファームだ。経験より若さに賭け、本当の意味で世界的な存在になろうと挑戦した最初の会社なのだ”

世界最初のグローバル企業たらんとしたマッキンゼーの手法は、イエズス会やアメリカ海兵隊、カトリック教会にもなぞらえられるほど。本書の指摘によれば、1920年代の効率化ブーム、第二次世界大戦後の1940年代における巨大化、1950年代の政府合理化とマーケティングの進歩、1960年代における企業の影響力の増大、1970年代のアメリカ再構築と戦略の進歩、1980年代におけるITの飛躍的発展、1990年代のグローバリゼーション、2000年代以降の経営破綻と清算ラッシュという歴史の流れのすべてにおいて、マッキンゼーは大きな役割を果たしてきました。

しかし、コンサルタントはあくまで黒子です。影響力が大きいと言われつつ、その実態はなかなか見えませんでした。業務の特性を考えれば、当然のことでしょう。ジャーナリストが取材源を秘匿するように、コンサルタントはクライアントについて話しません。ある時期まで、マッキンゼーも、あからさまな自己宣伝は厳禁という姿勢を固く守っていたそうです。

私がこの本の中で注目したのは、本筋とはあまり関係のない部分でした。それは、マッキンゼーがその勢力をアメリカからヨーロッパへと拡大していた頃のこと。本書は次のような事実を伝えています。

”1967年から1974年にかけて、マッキンゼーはタンザニアで大きな存在感を持っており、9つの異なる事務所から派遣された60人以上のコンサルタントが、大統領のジュリウス・ニエレレの国家計画策定を助けていた。仕事の一部は無料で行ったが、それでも料金は非常に高額だったため、タンザニアの国家予算の一項目になったと、ジャーナリストのマイケル・ユシームは書いている”

ニエレレはタンザニアの初代大統領であり、「アフリカの父」とも言われている人物ですが、著者はそのニエレレをこんな風に描写しています。

”政権の座にあった1961年から1985年のあいだになだれ込んだ西側諸国とソビエトからの援助によって、文字通り国を破壊した暴君で、マッキンゼーに仕事をさせないようにしようとは思わなかったようだ”

優れた政治家とは、「良いこと」と「悪いこと」を同時にするものなのかもしれません。政治とは本来、そういう仕事なのかも。マッキンゼーの提案書を読んだニエレレは「これが私の求めていたものだ」と言った後、料金を見て、こう言ったそうです。

「このチームで一番給料の安い社員でも、私の大臣たちより稼いでいるということを、認識しているのか?」

続けざまに、こうも言いました。

「しかし……私の村には、ピーナッツをやれば猿を捕まえられるという格言がある」

マッキンゼーがタンザニアで大きな力を持っていた頃、ある日本人建築家がタンザニアの国会議事堂の公開コンペに勝利し、現地へと乗り込んでいました。何を隠そう、その日本人建築家とは故・黒川紀章氏です。

黒川さんは1934年の生まれですから、当時はまだ30代後半。その年齢で国会議事堂を設計できるとなれば、さぞや興奮したに違いありません。けれど、黒川さんが関与するはずだったタンザニアのプロジェクトはその後、様々な政治的事情や思惑も絡み、二転三転した後、オイルショックに伴う経済困難で頓挫してしまいます。存命であれば、一連の展開にマッキンゼーの影を感じたかどうかを聞いてみたかったような気がします。

ところで、タンザニアは近年、貧困率が34%(2009年)と高い一方で、年率7%(2013年、世銀調べ)の経済成長を遂げている国としても注目を集めています。人口は約5000万人。近隣内陸諸国からインド洋へのアクセスルートにあるため、地政学上の要衝とされ、先進各国が経済支援に乗り出しています。やや古いですが、外務省が公表している2012年のデータでは、日本は支出総額ベースで米国、英国に次ぐ、第3の援助国になっています。

ものづくりは演歌?

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去る3月16日から、ダイヤモンド・オンラインで新連載「ユニーク企業の仰天戦略」をスタートさせました。「絶滅危惧種なお仕事ガイド」「職あれば食あり」「世界がもしご近所さんだったら」に続く、4本目です。

初回は、「いつか取材してみたい」と思っていた、キャニコムの包行均会長に申し込みました。九州弁をあえてそのまま残し、グローカルな経営を目指す中小企業に参考になりそうな部分をクローズアップしています。1度のインタビューを3回に分け、3日連続で載せるのも初の試みでしたが、おかげさまで、多くの方に読まれました。お時間を割いてインタビューに応じてくださった包行会長、そして、素敵な写真を撮影してくれたカメラマン、いつも無茶を受け入れ、インパクトのある見出しを付けてくれる担当編集者に感謝します。

ちなみに、写真は、取材の時に包行会長にいただいた「ものづくり応援歌CD(非売品)」とお茶。CDのメインボーカルは渡辺知子さんというプロの歌手でしたが、会長ご本人も、ちょっとだけ歌っています。両方のパッケージにある「ネ」の字が照れ隠しのようで、かわいらしいです。

ところで、今週は、同じサイトにアーカイブされている別の記事が、瞬間風速的に読まれる出来事もありました。その記事とは、「世界がもしご近所さんだったら」の第11回目、当時のデンマーク大使館・広報担当官、イェンス・イェンセンさんのインタビュー。「仕事ができない人はすぐクビになるのにデンマークが『世界一幸福な国』になれた理由」というタイトルが付いています。

記事が復活して読まれたのは、どうやら、3月16日に発表された国連の世界の幸福度に関する報告書(2016年版)で、デンマークが1位になったニュースが流れ、大使館が当該記事を紹介したことによる影響のよう。ちなみに、同幸福度調査でデンマークがトップに立つのは3回目。2位以下はスイス、アイルランド、ノルウェー、フィンランドの順番でした。(日本は53位)

このような幸福度調査の結果に関しては、各国の国民性が影響しているのではないかという指摘もあるため、一概にどうこうとは言えませんが、必ずしも経済規模の大きさが国民の幸福度の大きさにはつながっていないという点は、注目していいかと思います。

都市と祝祭

3月13日(日)の午後、東京大学・安田講堂で開かれた「都市と祝祭」というシンポジウムに行ってきました。

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建築系の方はよくご存知だと思いますが、この安田講堂を設計したのは岸田日出刀氏。東京大学の教授で、1966年に亡くなるまで日本の建築界を影で支え続けた人物です。門下生には前川國男氏、丹下健三氏らがいます。

建物の中はこんな感じです(シャンデリアは意外と質素です)

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ところで、「都市と祝祭」には「芸術的想像力はいかに都市を覚醒するのか」という副題が付いておりまして、登壇者は以下の方々でした。

アメリー・ドイフルハルト(ハンブルク・カンプナーゲル劇場芸術監督、世界演劇祭2017芸術監督)
磯崎 新 (建築家)
吉見俊哉(社会学者、東京大学)
高山 明 (演出家、Port B主宰)

第1部は、テーマに関する個別のプレゼン。それを受け、第2部で東京都生活文化局次長の桃原 慎一郎さんも交え、企画コーディネーター、相馬千秋さんと社会学者、北田暁大さんの司会によるシンポジウムへ、という流れでした。

磯崎さんはいつものように北京、パリ、東京の3つの都市の作られ方を比較しながら、皇居前広場と神宮外苑の新国立競技場建設予定地を結ぶ「祝祭路」の提案をされていました。個人的には、吉見俊哉さんの「ポスト2020の東京ビジョン:21世紀の戊辰戦争は可能か?」というプレゼンに覚醒気味だったのですが……。

最後の最後で、最初から「体調があまり良くない」とおっしゃっていた磯崎さんが、次のような鋭い問いを投げて、退席されました。

「私はそもそも(大分から東京へ出てきた)流民だった。今の東京は、それ(今でいう難民)を受け入れられるのか?」

ドイツにおける難民問題の深刻さを語ったアメリーさんの発言を受けた言葉であり、東京にいて、東京のことしか考えず、東京人(あるいは日本人)の視点でのみ、「都市と祝祭」を語ることの視野狭窄ぶりを指摘されたのだと思います。

「磯崎新、健在なり」という言葉が頭に浮かんだ、シンポジウムでした。

卒業

「卒業」のシーズンがやってきました。学校の卒業式ははるか昔のことでよく覚えていませんが、会社を卒業した日のことならば覚えています。

上司に「辞めます」と告げるまで、「仕事が嫌だ」とか「会社に行きたくない」とか、思ったことはありませんでした。退社は主に家庭の事情によるものでしたが、告げたとたん、ふっと肩の力が抜けて、心が軽くなったように感じました。どこかで、無理をしていたのかもしれません。

そんな15年以上前のことを急に思い出したのは、取材先の広報担当者から「(会社を)卒業します」というメールが届いたからでした。会社を辞めることには今も、ネガティブなイメージが付きまといます。しかし、「卒業」という言葉はあくまで前向きで、聞くと、応援したくなる響きがあります。言外に、自分を成長させてくれた組織に対する感謝の気持ちが込められているのを、感じるからでしょうか。

今週は、そんな彼女のおかげで取材することができた記事をご紹介します。

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日経Bizアカデミーに連載中の「ダイバーシティに挑む」で、クロスフィールズ副代表の松島由佳さんをインタビューしました。クロスフィールズとは、企業の社員を新興国へ派遣する「留職」事業を手がけているNPO法人です。記事は先週と今週、に分けて掲載されています。

松島さんに会うのは3年ぶりでした。最初にお目にかかったのは、彼女たちが主催した「留職フォーラム」を取材した時。その時の記事「エース社員を新興国NPO・NGOへ派遣 名だたる企業が続々参加する『留職』とは何か」は、今もダイヤモンド・オンラインで公開されています。

「第二創業期」を迎えたタイミングで再び巡り会い、記事にできたのも、何かのご縁。その縁を作ってくれた、先の広報担当者に感謝します。

ところで、めでたくクロスフィールズを卒業することになった彼女のエピソードを1つ、紹介させてください。

あれは昨年の11月だったと思います。「日産の志賀副会長を招いて、CVS経営フォーラムを開きます」という知らせが届きました。出席の連絡をして出かけて行くと、席に資料が用意されていました。資料の上にポストイットのメモが貼ってあり、そこには、私宛のメッセージが書いてありました。

けっこう大がかりなイベントでしたので、準備するのも大変だったかと思いますが、彼女は出席した記者の1人ひとりに向けて、それぞれ異なる文面のメッセージを記していました。なんて丁寧な仕事をする人だろう、と思いました。

忙しくなると、つい、仕事が雑になってしまいます。そんな時は、彼女のことを思い出すようにします。