落語と狂言と業のはなし

早いもので、5月も終わりです。今月は落語家の立川志の春さんをインタビューした記事をご紹介します。NIKKEI STYLEで上下に分けて掲載されています。トップサイトにある「出世ナビ」というアイコンをクリックして、連載一覧にある「キャリアの原点」を探していただくと出てきます。

志の春さんは立川志の輔さんの三番弟子にあたる方です。師匠の落語を初めて生で観た時に、「語り手の存在感が完全に消えるのがすごいと思った」とおっしゃったのが印象的で、ご自分も「消える落語家になりたい」と話されていました。毎月、日比谷公園内にある図書館のホールで落語会を開催されています。私も二度ほど観させていただきましたが、また、行こうかと思っています。

今月はあるコラムを書くために、「狂言」についても調べました。資料のひとつとして、狂言師、茂山千三郎さんの著書『世にもおもしろい狂言』を読みました。能とセットで演じられていた狂言の成り立ちや舞台のことなど、とてもわかりやすく、おもしろく説明してありました。江戸時代に大衆化していく伝統芸能の原点がここにあったんだなあ、と今さらながらにお勉強。本の中に茂山さんが考える狂言の魅力について解説した文章があり、心に残ったので引用します。

狂言は、人間の描き方に余裕があるんです。「まあ、それもええやろ」と人間の欠点や弱点を認めています。観客が舞台上の登場人物に共感できるのは、つねに狂言に「人間を肯定しよう」という姿勢があるから。だから僕は、狂言は人間肯定劇だと思っています。笑えて、楽しめて、元気になれる理由はそこにあるのです。

そう言えば、志の春さんも同じことをおっしゃっていましたし、師匠の師匠である、故・立川談志さんも「落語は人間の業の肯定だ」とおっしゃっていたような気がします。

欠点がないのは、どこか人間としての魅力に欠けている。ただし、欠点ばかりでも、それはそれで人を遠ざけてしまう。逃れがたい欲望や欠点と格闘しながら生きているところに、人間としての魅力が醸し出されるのかもしれません。

写真はここで触れたお二人の著書です。おもしろいですよ。

IMG_1173IMG_1175

オバマ大統領の広島訪問で考えた

アメリカのオバマ大統領が広島を訪問した。2016年5月27日、新聞もテレビもラジオも、こぞってこの歴史的瞬間を伝えていた。

舞台となった広島平和記念公園の映像を見ながら、ある人物のことを思い出した。日本人の父親とアメリカ人の母親を持つロザンゼルス生まれの芸術家、故・イサム・ノグチ氏である。

2つの祖国を背負って生まれた彼の生涯については、ノンフィクション作家のドウス昌代氏が詳細な評伝を書いている。ここでは平和記念公園を巡り、1950年代の初めに起きた騒動とノグチ氏が直面した出来事に絞って、書き留めておきたい。

ご存知の方も多いかと思うが、平和記念公園の基本構想は建築家、丹下健三氏の手によるものだ。彼は当初、公園内に建てる慰霊碑(地下慰霊堂を含む)のデザインを、親交のあったノグチ氏に依頼していた。ノグチ氏は並々ならぬ熱意でこの仕事に取り組もうとしていたというが、途中で横槍が入り、実現はしなかった。

ノグチ氏の起用を強硬に反対したのは、丹下氏の後見人、東京大学教授の岸田日出刀氏である。新建築社から出ている『丹下健三』(丹下健三、藤森照信共著)には、この時の岸田氏の考えが、次のような言葉で引用されている。

「日本の建築家とアメリカの彫刻家とが互に協力して、ひとつのりっぱな作品を創り上げるということは、たいへん結構なことであるに違いない。だが、広島平和記念公園の中心になる慰霊堂の場合にはどうか。原爆を落としたのはアメリカであり、そしてイサム・ノグチ氏はアメリカ人だということを忘れないで欲しい」

その根底に横たわる問題を、建築史家の藤森照信氏は次のような言葉で的確に整理している。

「平和か慰霊か、広島の計画の根本を問う問題が吹き出してしまった。平和を祈るならノグチでもいいかもしれないが、慰霊は困る。生者は許しても、死者は許してくれない」

イサム氏は画家の猪熊弦一郎氏や坂井範一氏を伴って岸田氏の研究室を訪れ、強く翻意を求めたものの、案は却下された。岸田氏はノグチ氏のデザインが気に入らなかったわけではない。起用を認めなかったのは世論に配慮し、可能な限り丹下氏の案を守るためだった、と考えられる。

広島平和記念公園の建設を巡っては、その頃、財源をどうするかなど様々な問題が勃発していた。そもそも、東京から来た建築家が広島の計画を手がけることに対する地元の反発も大きかった。もともとあった丹下氏の案では、公園内の施設は「陳列館」「本館」「公会堂」の3つが一体としてデザインされるはずだったのだが、このうちの公会堂に関しては国庫補助の対象にはならず、市は資金の捻出に苦慮していた。

仕方なく、市は地元財界の寄付を仰ぐことにしたのだが、財界は「代わりに丹下を降ろせ」と要求してきたという。丹下氏の右腕だった浅田孝氏はその調整に奔走した。国会議員も動いた。だが、決定は覆せなかった。先の『丹下健三』には、寄付金の一部をキャッシュバックするよう財界が求めたのに対し、丹下氏がこの裏取引に応じなかったため、公会堂の設計を諦めざるを得なくなったと説明する元スタッフの証言も載っている。

『丹下健三』の発行は2002年である。藤森氏は本の中で「今になってみるとノグチ氏の案で実現しなくてよかった」と述べ、その理由を次のように説明している。

「高さ5mの巨大な黒御影の塊があの場所に座る光景を想像してほしい。肝心の原爆ドームは陰に隠れ、人は、イサム・ノグチの作品に手を合わせることになる」

藤森氏の言う通りかもしれない。太いアーチが地中深くまで伸びるノグチ氏の案に比べれば、実現した丹下氏の慰霊碑は埴輪を模していて、形はノグチ氏の案に似ているものの、より控えめで日本的なデザインに仕上がっている。この地には合っているのかな、とも思う。

それでもなお、考えてしまう。もしも、イサム・ノグチ氏の慰霊碑があの場所に建っていたらどうなっていただろうか、と。

ハーフとして生まれたノグチ氏は、日本で好奇の目にさらされた幼少期を過ごしていた。戦時中のアメリカでは、所内の環境を改善したいと自ら進んで日系人の強制収容所へ入ったが、日系人からは「アメリカのスパイではないか」と疑われた。

戦後、芸術家として復帰を果たし、再び訪れた祖国・日本では「アメリカ人だから」という理由で、広島の慰霊碑をデザインすることを拒否された。彼はもうひとつの祖国・アメリカでも、ケネディ大統領の墓所デザインを依頼されながら、「アメリカの国民的ヒーローの墓地はアメリカ人の手で作るべきだ」という強硬な反対に遭い、拒絶されている。

彼はアメリカ人にも日本人にもなりきれず、2つの祖国の間を揺れ動く存在だった。

1950年から数えて66年目を迎えた今年、広島を訪問したオバマ大統領は所感でこう述べた。

「国は犠牲や協力によって人々が団結するという物語を語り、台頭して偉大な成果を生みました。その同じ物語は、自分とは違う他者を虐げたり、非人間的に扱ったりすることに使われてきました」(オバマ氏の所感全文『毎日新聞』からの引用)

日本人でもあり、アメリカ人でもあるイサム・ノグチ氏のデザインした慰霊碑の前でこれを語ったとしたら、言葉は今以上に深い意味を持って受けとめられただろう。

日本の政治家やメディアは声高に「慰霊」を語ったが、オバマ氏が語ったのは人類が共通して持っている「平和への祈り」、そして「大陸と海をまたぐ理想」についてだったように思う。

利休の切腹

この3月に彰国社から出た『藤森先生茶室指南』(藤森照信・大嶋信道編)を読んだ。建築史家の藤森氏が中村昌生、小川後楽、原広司、隈研吾の各氏と茶室について対談した内容をまとめた本である。藤森氏自身が設計した茶室に関する大嶋氏との対談や速水清孝氏によるコラム等も散りばめられていて楽しい。「利休の切腹」に関する部分が気になったので、メモしておく。

利休の切腹に関しては、冒頭に掲載された中村氏との対談で触れられている。中村氏は1927年、愛知県の生まれ。茶室の研究と実作の第一人者として知られ、数寄屋に関する著作もある。建築という観点から茶匠と茶室について調べ続けてきた、数少ない研究者の一人だ。

近代建築の潮流からすれば、茶室や数寄屋を研究対象とするのは”異端”である。戦後第一世代の建築家、前川國男、丹下健三、坂倉準三の3氏は伊勢神宮や桂離宮には興味を持っていたが、茶室には興味を持たなかったという。その上の世代にあたる堀口捨己は茶室や数寄屋の研究に熱心だったというから、それに対する反発や反動もあったかもしれない。

利休の茶道を継承しつつ、それを大胆に変革していこうとしたのは、ほかでもない彼の弟子、古田織部である。利休は「侘び数寄」という言葉は使っていたが、「数寄屋」という言葉は使っていない。草庵風の茶室を称して「数寄屋」と呼んだのは古田織部からだそうで、彼は同時に、それまでの茶会のやり方を大きく変えていった変革者でもあった。

茶会といえば、それまでは1つの座ですべてのフルコースを体験するものだった。しかし、織部は濃茶、薄茶、会席とそれぞれ座を変える方式へと改め、推進した。せいぜい4畳半しかない狭い空間に客人が長時間、閉じ込められたままでいるのは苦痛だろうし、座を変えていく茶会のあり方こそ新時代のもてなし方だ、と織部は考えたのだろう。一方で、利休はそのような茶会の形式を、「世俗の宴会に堕してしまう」と戒めていたそうだ。

茶人として時の権力に愛でられ、重宝された二人は、そのために権力闘争にも巻き込まれ、最終的には切腹を命じられてしまう。興味深かったのは、切腹の際、利休が次のような辞世の句を詠んだというくだりである。

「提(ひっさぐ)る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛(なげう)つ」

辞世の句にある「得具足」について、藤森氏からその意味を尋ねられた際の、中村氏の解釈がおもしろい。

「それについてはいろんな解釈があるのですが、あえて訳すれば、この歌は自分の腸を投げ付けるような意味で吐いた言葉ではないかと。そもそも利休は町人のくせに切腹でしょう。同じ死を賜るにしても位の高い死を賜ったわけです。しかし、彼は従容として死についた。そのときに詠んだ歌はやはり、武人じゃないけれど武人に劣らぬ気骨を持って詠んだのではないかと。具足は茶の具足でも武人の具足でもいいけれど、武人には武人の具足がある、けれども自分には茶の具足があるという気構えがあったんじゃないでしょうか。彼は本当に死を賜って、ついにきたかと緊張もしたでしょうけれど、むしろ喜んだというか、しめたと思ったと思いますね」

切腹を命じられて喜ぶ心境は、凡人には理解しがたいものがある。なぜ「しめた」と思ったかについても、中村氏はこんな見解を述べている。

「おそらく利休は、茶の湯を広めるだけ広めたけど、行く末、自分が理想とするような茶にはならないかもしれない。しかし、自分がこういう死に方をすることによって、むしろ世間に、なおいっそう深く茶の湯を刻み込むことができるだろうという考えがあったんじゃないですか」

美意識を貫くことに懸命だった千利休ならばあるいは……と思ってしまう。「茶の湯」はそれくらい謎が多い。

IMG_1170

「家政」の反逆

アメリカの大統領選挙で、共和党の大統領指名候補者にドナルド・トランプ氏が指名されることが確実になったというニュースを読んだ。歴史上稀に見るグローバル化と自由貿易に異を唱える大統領候補が登場しそうだということで、アメリカはもちろん、日本でも大騒ぎしている。

英フィナンシャル・タイムズの記者はこう書いている。

”選挙の構図は共和党対民主党ではない。造反者と支配階級、思いつきで物を言う人と道徳的、政治的に正しい発言をする人、混乱を呼び込む者と現状維持派、自国第一のポピュリストと他国との関係を考える従来型の国際主義者の戦いだ”(5月8日付 日本経済新聞電子版)

トランプ氏の躍進を、記者たちは口を揃えて「考えられないことだ」と言い、悪しきポピュリズムの結果だと指摘している。興味深いのは、記者がどんなに「おかしい」と声を挙げても、その声が有権者にはまったく届いていないように感じられることだ。むしろ、アンチの声を挙げれば挙げるほど、彼の存在が大きくなっていく。

先の記者はあきれたようにこうも書いている。

”大事なのは社会通念を信じるなということだ。各世代が長らく信奉してきた考えが通用しなくなる。向こう半年の間、近代史以降で恐らく最も興味深い政治劇が展開されるだろう”

これまでの常識が通用しなくなっているのは報道も同じだ。ジャーナリズムは大きな曲がり角を迎えている。いつの間にか「言葉」は細分化され、分断されてしまった。万人に届く言葉を見出すのは、容易なことではなくなった。誰に、どんな情報を届けるべきか。かつては自明だったはずのものが、今ではすっかり曖昧になってしまっている。

インターネット上でモノを書くには、その都度、誰にどんな情報を届けるのか、を自分自身で判断しなくてはならない。「速く」「正確に」というニーズは変わらないどころか、以前よりも増している。ジャーナリズムへの信頼は下がる一方なのに、求められるスキルや倫理観は上がっている。そのことに矛盾を感じても、誰も、どうすることもできないままでいる。

暴力や命令ではなく、対話と議論による民主的な政治を志向した最初の試みは、古代ギリシャの「ポリス」だろう。ポリスでは言葉と説得によってすべてが決定された。こう書くと、そこに集った人々はみな理性的で知的だったように感じられるかもしれないが、実際のところ、ポリスはとても危険な場所でもあった。

その危険性を明らかにしたのは、皮肉にもソクラテスだった。「ポリス市民に自らの無実を説得できなかったために、ソクラテスは、ポリスが哲学者にとって安全な場所ではないことを明らかにしてしまった」(ハンナ・アーレント著、『政治の約束』)

賢者であったはずのソクラテスは、自らが発した言葉の力によって多くの敵を作ってしまい、死刑を宣告される羽目に陥った。その弟子にあたるプラトンは、ソクラテスが多数決によって敗北する場面を目の当たりにしたために、政治に幻滅し、関わるのをやめてしまった。「真理と意見の対立こそは、プラトンがソクラテスの裁判から得た、もっとも反ソクラテス的な結論に外ならなかった」と、アーレントは指摘している。

もちろん、言葉はそれ自体が問題を孕んでいる。言葉が過剰になると、人は「日々の暮らし(生活)」を軽視するようになる。いわゆる「頭でっかち」になっていく。暮らしに根ざさない言葉は結局のところ、誰の心にも響かず、人を動かすことはできない。レトリックばかりの世界は、それはそれで寒々しい。

いっそ言葉などなかったら楽なのにと思うけれども、言葉がなければ、人は人として生きられない。人間は社会的動物であり、言葉を欲する生き物だ。言葉で体験を共有することができなければ、人と人とがわかりあうことも難しくなってしまう。私たちが今抱えている問題の根底には、たとえ問題の所在が明らかであったとしても、それを議論し、解決していくための適切な「言葉」がいっこうに見つからないということがある。

厄介なのは経済は簡単に国境を越えてしまうのに対して、ポリスが扱う「公的なもの」のほとんどは国境を越えないことだろう。

「エコノミー(economy)」の語源はギリシャ語の「オイコノミア」で、それはもともと家の統治、すなわち「家政」を意味していた。古代ギリシャにおいて公的なものを議論する場がポリスならば、もう一方の、私的なものを営む場がオイコス(家)だった。オイコスには、ポリスから排除された女性と奴隷がいた。彼らが営む日々の暮らしがプライベートだ。英語の「private(私的な)」には「privative(欠如している)」の概念が含まれているが、欠如しているのは、ほかならぬ「言葉」である。

家政が家という物理的空間を超えて大きくなったのが経済なのだから、経済はその成り立ちからして「言葉」を必要としていないことにもなる。そんな経済の力によって発展した国の代表格がアメリカだ。

アメリカが主導してきた「グローバル化」は地球規模における経済空間の拡大をもたらし、各地でポリス的な言葉を圧倒している。不動産王・トランプの躍進は、その行き着く先に表れた現象のひとつにすぎないような気がしている。

写真は連休中に読んだ次回作のための資料。やっと少しずつ取りかかっています。

IMG_1162