8月のお仕事

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Forbes JAPAN 10月号

8月も終わりに近づいてきました。今月もひとつずつ締切をこなすうちに過ぎていきます。世間的に「フリーランスのライター」というと暇なんじゃないかと思われている節もあるのですが、意外とそうでもないです。みなさん、けっこう忙しそうです。かといって、月末の残高が驚くほど増えた、なんてことはなく……。我ながら「どうしてなんだろう?」と不思議ですが、まあ、そこはあまり気にしないことにしています。

それはともかく、今月の掲載誌が送られてきたのでご紹介します。(たまには紙にも書くのです)

写真の通り、『Forbes 』日本版です。「日本で一番美しい経済誌」を謳っているそうで、ビジネス系にしては珍しくビジュアルも凝っています。こんなオシャレな雑誌には縁がないだろうと思っていたのですが、ひょんなことから縁ができ、次号も書いています。

取材・執筆を担当したのは、110ページにあるコニカミノルタ・ビジネスイノベーションセンター(BIC)の記事。興味のある方は手にとってご一読ください。

強力な台風が近づいてきています。どうぞみなさん、お怪我のないように。私はある案件で地方へ行く予定なのですが、無事に取材・撮影できるかどうか心配です。(カメラマンはもっと心配だと思いますが)

ミスター全総・下河辺淳氏の死

「アーキテクト」がまたひとり、この世を去った。元国土事務次官の下河辺淳氏が亡くなった。享年92歳。ひとつの時代の終わりを告げているかのようで、どこか物哀しい。黒川紀章さんとも多少関係のあった人物なので、拙著メディア・モンスター』を書く際に、改めてその経歴や発言を調べたことがある。

1976年10月2日付の朝日新聞朝刊は、下河辺氏を次のような文章で紹介している。

 あだ名は開発天皇。22年、東大建築学科卒業後、戦災復興院を経て建設省入りした。37年に経済企画庁へ転出、以来、総合開発一本ヤリできた。その手腕を田中前首相にかわれ、49年国土庁発足と同時に同庁計画・調整局長。田中角栄著『日本列島改造論』の筆者かは不明。

戦後の復興から一貫して日本の国土計画に関与し続けた下河辺氏は「ミスター全総」と呼ばれ、『日本列島改造論』の”ゴーストライター”と噂された。

1960年代に政官一体となって推し進めた日本の国土計画を「プロジェクト・ジャパン」と名付けたオランダの建築家、レム・コールハース氏は同名の著書の中で、下河辺氏を「舞台裏からの操作で自らのビジョンを実現させていく、人形遣いだった」と表現している。

むろん、本人はそのような見方をいつも婉曲に否定していた。先の記事でも、下河辺氏はよく「総理大臣は注文主、わたしは職人」と語っていたことが記されている。そう言いながら、総理でさえも平気で呼び捨てにしてしまうところが、「開発天皇」とあだ名されたゆえんだろう。

世間では、田中角栄氏と言えば「日本列島改造論」というくらいにこの2つは分かち難く結びついているが、下河辺氏の見解は少し違っていた。以下は『プロジェクト・ジャパン』(平凡社)から引用した彼の発言だ。

『日本列島改造論』は通産省の役人とジャーナリストが、総理選挙のための演説として書いたわけです。それが予想外に評判がよかったから、角栄は取り消すのに大変だったんです。あの本については田中角栄自身にとても意見があるんですよ。列島改造論にかんして田中角栄が一番困っていたのは、政府が開いた列島改造懇談会でした。委員がなんと120人になってしまった。120人もの委員会を開くと聞いた角栄は怒って、「そんなバカなことはない」といって私を呼びつけ、「この会は閉鎖したいから、3回で打ち止めろ」というわけですね。(後略)

 田中内閣については、ジャーナリズムがいまだ誤解したままになっているんですね。田中角栄はあの時代、列島改造を促進してはいけないという意見だったんです。それなのに、列島改造を促進するために総理になったという理解が普通になっている。田中角栄は「土地問題、自然環境問題、中国問題が片づかない限り、列島改造を進めることはしない」と言ったんですが、あまり世の中に知られていません。

別のインタビューでも、彼は同様のことを語っている。嗅覚の鋭い田中氏は土地投機によって地価が急騰することを予想し、そのことにより自身への批判が高まることを恐れていた。首相に就任して間もなく「国土庁」を作る方向で動いたのは、新設の役所を作ってもすぐには機能しないことを知っていたからだ、と。

下河辺氏は、ベストセラーとなった『日本列島改造論』に関しては「1字も書いていない」と証言しているが、その土台になった自民党の「都市政策大綱」作りには関与している。都市政策大綱には、土地利用にあたり利益よりも公共性を重視することや、土地の値上がり分を所有者ばかりではなく社会に還元することなどが記されていた。『日本列島改造論』のゴーストライターであることを否定する気持ちの中には、政策の重要部分が抜け落ちたまま伝わってしまったことに対する忸怩たる思いがあったのかもしれない。

いずれにせよ、「日本列島改造」はシナリオ通りには進まなかった。田中氏が懸念した通り、第一次オイルショックに伴う物価の高騰と列島改造論ブームが巻き起こした土地投機による地価の高騰によって、短期間で挫折した。

メディアが高度に発達した民主主義社会では、人間の欲望が常にシナリオを書き換えていく。ゴーストライターはいたとしても、その影響力は限られている。

下河辺氏はその後、1977年に国土庁の事務次官に就任するも、日本の経済成長はこの時、すでにピークを過ぎてしまっていた。列島改造にはふさわしいタイミングというものがある。以後、彼が示す国土計画は次第にその力を弱めていく。「ミスター全総」もまた、時代が生んだ敗者だったような気がしてならない。

ところで、私が下河辺氏の名前を聞いて思い出すもう一つのイベントは、1985年の「つくば博」である。彼はそのコンセプトについて、雑誌『新建築』で黒川紀章氏と対談し、こんなことを話している。

(前略)問題は「いまか永遠か」と対決を迫られていることだと思うんですよね。建築にしても都市にしても、日常的な生活にしても、いまが重要なのか永遠が重要なのかということになる。日常性のほうは著しくいま型になってきている。そのときに建築や都市というのは哲学を失い始めたと思うんですね。いままで非常にオーソドックスなものであれば都市でも建築でも、永遠ということをかなり重視していたでしょう。だから非常に長い期間にわたって残った建造物に対してある驚きを持ったし、すばらしさも感じたのでしょうけれど、現代のようにいまというものが価値の基本になったときに、果たしてどちらか。その延長線上でいえば、つまりいまとまったくつながり得ているということを本物とすれば、仮設こそ本命ではないだろうか。(中略)ひょっとすると、コンクリートなんていう材料が全面的に否定されて、もっと仮に使われるような材料のほうが新建築材料として重要になるかもしれない。だからテントというようなものがもっともっと技術進歩するんじゃないかということも含めて話題だろうし、1年たって行ってみたらその都市はまったく違った景観を持っていたということさえも、その博覧会場を見る限り出てくることだと思うんですね。その辺の、いまが重要なのか永遠が重要なのかということを、少し議論しなきゃならないと思ってますけどね。

2016年の今日、改めてこの発言を読むと、それが重要な示唆を含んでいたことにも気がつく。

著しい「いま」型のなかで扇動者は次から次へと現れるが、本質的な議論を喚起できるアーキテクチャーはなく、アーキテクトは不在のままだ。

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リオ五輪の目的は?

テレビでリオ五輪の開会式をみていたら、アナウンサーがオスカー・ニーマイヤーの名前を口にした。次々とビルが建設されていく都市の様子を描いたパフォーマンスで、ニーマイヤーのスケッチがプロジェクションマッピングされていた。

「そういえば」━━。昨年夏、東京都現代美術館で開かれた「オスカー・ニーマイヤー展」を見に行ったことを思い出した。

以下は展示されていた彼の代表作の1つ、「イビラプエラ公園」の30分の1模型を撮影したものだ。建築模型は全体的に大ぶりでダイナミック。「ブラジルのサバンナ」と呼ばれた広大な土地と、強い陽射しにさぞやよく似合うだろうという気がした。

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ニーマイヤーは1907年、リオデジャネイロで生まれた建築家だ。2012年12月、104歳で亡くなった。展覧会は日本で開催された、初の大回顧展であった。

彼はル・コルビュジェと共作したニューヨークの国連本部ビルで一躍有名となり、師匠ルシオ・コスタとともに、新首都ブラジリアの建設計画にも携わった。国会議事堂や裁判所、大統領府などの主要建築物のほとんどはニーマイヤーが設計した。「ブラジルのモダニムズ建築の父」と言われている。

十字架にクロスする都市軸に基づいて作られたブラジリアは、ル・コルビュジェの「輝く都市」を具現化している。車と人が分離した交通システム、ゾーニングの導入、緑地の確保……。日本では一時期、そんなブラジリアを「人が住みにくい車優先の街」と批判する声も多かった。

一方で、なんでも便利で衛生的、小回りのきく都市生活に慣れた日本人の感覚で考えるから「住みにくい」のであって、ブラジル人にとっては必ずしもそうではないという意見もある。実際、現地の人々はブラジリアを誇りに思っているようであるし、1987年には、開都から27年という異例の早さで世界遺産にも登録されている。

ことほどさように、都市計画を評価するのは難しい。都市を作るのは本来、50年、100年先を見据えた作業であるはず。はたして、それだけの長期ビジョンを持ち得る人材がどれだけいるのだろうか?ましてや、そのビジョンの妥当性を評価できる人間はいるのか?

ブラジリアと言えば、興味深い資料を見つけた。国土交通省のホームページに、「首都ブラジリアの過去、現在、未来〜首都移転50周年を迎えて」と題したインタビュー(日付は平成22年6月14日)が載っている。答えているのは、当時の駐日ブラジル大使館経済部長、エドゥアルド・テイシェイラ・ソウザ氏である。興味のある方は全文を読んでいただきたいが、私が注目したのは以下のQ&Aだ。

Q.国を挙げてリオデジャネイロへの2016年オリンピック招致を図ったのは、リオデジャネイロの復興を目的としたものですか。

A.実際、リオを再活性化するという大きな計画があります。なぜなら、リオデジャネイロはブラジルの顔で、ブラジルというと多くの方はリオデジャネイロをイメージするからです。しかし、リオデジャネイロは過去20年間計画が無いため、極めて困難な状況に陥りました。現在は、リオデジャネイロのあらゆる街区を再活性化する計画ができ、オリンピックがそれに結びつけられています。リオデジャネイロの中心街には、ポルトガルやフランスの影響が色濃く残った、200年の歴史のある古い建築物がありますが、現在崩壊の危機に陥っています。そのような建築物を再建する計画がオリンピックとともに進められているのです。

ブラジリアへの首都移転最大の目的は、「他民族国家ブラジルのアイデンティティを構築すること」だった。それから50年以上が経過し、今度は旧首都のリオデジャネイロを再活性化させるために、オリンピックが招致された。「都市」と「建築」が開会式を演出する重要なテーマとなっていたのも、うなづける。

質問者は最後に「日本及び日本の首都機能移転について」も尋ねている。6年前のインタビューだと思うと、なかなか味わい深い。以下はその答えである。

A.私は日本に着任して1年半になりますが、日本のことは非常に好きです。すばらしい国だと思います。日本で首都機能移転を行おうとしたら、国民に十分に情報発信することが重要ではないでしょうか。ブラジリア建設でも、国民から見てどの建設案が好きか嫌いかということを問うたり、都市計画のコンペをやって国民の関心を高めたわけですが、そのように国民を議論に参加させることが重要ではないでしょうか。私が日本を旅行して知った限りでは、例えば日本人はエコ観光に極めて関心が高いとお見受けしますので、そのような要素も興味を喚起する上で取り入れても良いと思います。日本にすばらしい最先端のテクノロジーを備えた新しい都市が造られることを夢見ております。

日本でも2020年、東京でオリンピック・パラリンピックの開催が予定されているが、今のところ、すべてはバラバラで有機的に結びついてはいないように思える。「五輪後」を見据えたビジョンが明示されない限り、どのようなオリンピックにすべきかも見えてこない。開会式の演出もしかり、だ。

4年後に開幕を控えた都市の祭典は、首都「東京」をどんな風に変えていくのか。