秋桜忌に寄せて

10月12日は黒川紀章氏の命日だった。昨年に続き、事務所OB・OGの方々が主催する会に参加した。会の名を「秋桜忌」という。黒川氏が好きだった花の名前からとったそうだ。会場は、かつて事務所が入居していたビルのレストラン。毎年、故人を偲んで、ゆかりの人たちが大勢集まっている。

直に接したことのある人たちが抱く黒川氏のイメージは、マスメディアを通してしか彼を知らない人が持つそれとは、少し違っている。当たり前のことだけれど、それぞれの心の中に、その人が大事にしたい黒川紀章が生きている。インタビューしていた時もずっと、そのことを感じていた。

みな故人について語りながらも、実際は、氏の中に投影した自分自身について語っていたような気がしてならない。人々の人生を映し出すメディアとして、黒川紀章という器が、それだけ大きかったということかもしれない。

『現代日本建築家全集』の第21巻(監修:栗田勇、三一書房)には、当時、まだ新進気鋭の建築家だった磯崎新氏、原広司氏とともに、黒川氏の作品が収録されている。中に1971年10月の月報が挟んであったのを思い出し、改めて読み返した。グラフィック・デザイナー、粟津潔氏の「沈黙が創造をめざす時」という小論が掲載されている。

黒川は、とかくその過大なオプティミストぶりを、ジャーナリスティックなものとして、多分に誤解されているようだが、私はそこに、前世代の巨人的な建築家像を必死になって打ち砕かんとする姿勢を眺めている。マリネッティの未来派宣言のモビリティを戦闘的に構築しよとする(原文ママ)、と同時にその苦味を彼はまた全身で味わっている。その姿は時に、倫理的、禁欲的な相貌すら帯びて私の目に映ってくる。つまり、かつて華々しいマニュフェストを展開したメタボリズムのグループの中にあって、その理想を、執拗に、最も徹底して現代まで追求しつづけている彼の姿は、一種の壮麗なる悲壮感さえ漂わせている。しかし同時にまた、理想とは、決して実現され得ないものであるという意味においてのみ理想であり得るのだという逆説を最もよく知り抜いているのも彼にほかならないのだ。

これを読んで思い浮かぶのは、黒川氏の代表作「中銀カプセルタワービル」だ。この文章が書かれた当時、ビルはまだ建っていないが、そのコンセプトはすでに「カプセル宣言」という形で発表されていた。

粟津氏が文中で言及しているマリネッティはイタリアの詩人であり、未来派のオーガナイザーと言われた人物である。未来派とは、1909年、イタリアのミラノで始まった総合的な芸術運動を指している。19世紀の伝統的枠組みを破壊し、文明の最先端を目指すことを謳った運動に、多くの芸術家たちが参加した。その中心人物だったマリネッティが、マニュフェストとして発表したのが「未来派宣言」である。

粟津氏は黒川氏の「カプセル宣言」に、この未来派宣言と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。当時の評論や記事を読むと、多くの人が黒川氏に対して似たような印象を抱いていたことがわかる。悪く言えば「時代の徒花」だと断じ、「すぐに消えるだろう」と予測していた。実際、取材の過程ではそのような証言も耳にした。

だが、黒川紀章は消えなかった。むしろ、最期まで悲壮感を漂わせながら、その存在感を誇示し続けた。黒川氏を「メディア型」と評した磯崎新氏が「けれど」と言って、こんな風に語ったのを印象的に記憶している。

「━━けれど、あんなに長持ちしたやつはいないでしょう」

先の小論で、粟津氏はこう続けている。

ダイナミックな創造的な彼の魅力は何よりも、こうした人間としての逆説性のうちにあるのだが、この逆説性は、彼の作品についてもまたいえることなのである。たとえば、現実の彼の建築と、それを現出せしめた彼の虚構、つまり論理なりコンセプトなりとを比べる時、彼の場合も、現実によってその虚構を砕かれることを免れてはいないが、ここで見誤ってならないことは、彼は現実と虚構との甘い蜜月を初めから期待などしていない。つまり、彼は、己れをも含めて、現実の貧弱さを、そのコンセプトによって告発しているのだということである。これは、建築の現在性を見失うまいとする、文字どうり、合理と非合理の合間を流離する彼の大いなる倫理性の証しなのだ。彼がグラフイズムに寄せる積極的な姿勢は、勿論、このことと無縁ではない。だが、こうした逆説性が生み出す緊張関係のバランスを、彼がとりそこねるという危険がないわけではない。彼にとって、危険な、永い綱渡りなのである。

テクノロジーの進化を畏れぬ未来派は、芸術にそれまでにない「速度」を取り入れ、時に戦争さえも礼賛してしまう過激さを含んでいた。それはやがてロシア・アバンギャルドへと広がっていく。学生時代に旧ソビエト連邦のレニングラード(現ロシア・サンクトペテルブルグ)を訪れた黒川氏は、その影響を受けている。

「早く人間に追いついてみろ!」

晩年の黒川氏が日本IBMのデザイナー(当時)、山崎和彦氏のインタビューを受け、冗談めかして語ったこんな言葉からも、彼がテクノロジーの進化を畏れず、その進歩の遅さに苛立ちさえ感じていたことが窺える。以下に抜粋したのはウェブ上に残る、インタビューの一部だ(更新日付は2003年7月12日、文は月刊アスキー編集部)。

[――] 道具としてのPCの進化は?
[黒川] 新しいものを作るとき、創造するときは、感性を刺激される環境で、頭の中で仕事をするわけです。でも、ノートPCが感性に刺激を与えてくれるかというとね。データは出てくるんだけれど。
[山崎] そういう意味では、PCは創造を刺激する道具にはなっていません。どちらかというと、考えを保存する道具ですからね。
[黒川] 自分のデータを創れる人と、創れない人がいる。普通の人は自分のデータなんて持っていなくって、みんな映画で見たりとかTVで見たりとか、週刊誌や新聞で読んだもの。でも、このPCの中に入っているのは僕のデータ。僕が設計した作品のCADデータで、それを持って歩けるということは、やっぱりすごい。そういう能力をキープしながら、日常的な操作をやりやすくするために……。
[――] 仮に、次のThinkPadをデザインされるとしたら、どうされますか?
[黒川] ThinkPadの操作を、携帯電話のインターフェイスでできるようにしたいね。片手で操作できるようにしたい。

この後しばらくして、IBMのPC部門は中国のパソコン・メーカー、レノボに買収された。アップル社がiphoneの発売を開始したのは2007年6月29日だ。奇しくも、黒川氏は同年10月12日に亡くなっている。

未来派は時代の波に呑まれて消えていったが、黒川氏がクライアントや施工会社、内装にかかわった人々とともに実現させた中銀カプセルタワービルは今も、時代の空気をふんだんに吸い込んだまま、東京・銀座の一角に建ち続けている。ソニーのテレビや三洋電機の冷蔵庫を備えたオリジナルカプセルは、さながら、日本の高度経済成長時代を閉じ込めたタイムカプセルのようでもある。

黒川氏の死後、中銀カプセルタワービルを後世に残したいという人々が、その保存・再生のために活動を始めた。建築界の評価うんぬんとは関係なく、カプセルの所有者たちが自発的に始めたことだ。多くの若いアーティストがそれに参加し、カプセル内で作品を発表するなどしている。

建築家の真価が問われるのは、本人が亡くなってからだと言われている。建築の寿命は本来、人間よりも長いはずで、生前の評価にあまり意味はない。仮に黒川氏の名声やそのコンセプトが忘れ去られたとしても、彼が遺した建築を愛してやまない人がいるとしたら、それこそが建築家にとっての誇りであり、勲章だと思う。

黒川氏のポートレートと並んで秋桜忌の会場に飾ってあった百合の花を、いただいて帰った。自宅の窓辺に置くと、部屋中に甘い香りが漂った。

故人を偲んで集まった人たちの、深い愛情を感じた。

さようなら、札幌大同生命ビル

仕事のような趣味のような、報告です。

先週、ある媒体のお仕事で札幌を訪れました。ならば、ついでにあの建物を写真に収めておこうと思い、やってきました。札幌大同生命ビルです。

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北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)の門前から

ごく普通のビルに見えるかもしれないのですが、黒川紀章さんが設計した建物です。札幌駅から歩いて数分の大通り沿いにあり、今ではすっかり街並みの中に溶け込んでいて目立たないのですが、竣工時には、ちょっとした駅前のランドマークだったそう。

手元の作品集によると、工期は1973年から1975年8月。他の作品集に掲載されている年譜では、1964年に札幌大通り公園計画を練るなどしていたようですから、どういうわけか、札幌には縁があった模様です。

1972年開催の札幌オリンピックに合わせて札幌プリンスも設計していますが、こちらは現存していません。また、同じく札幌オリンピックのプレスセンターとして建てられた真駒内にある北海道青少年会館も、黒川さんが手がけました。(ただし、劇場棟は違う)

検索してみたところ、北海道青少年会館のホームページに、40年前の真駒内の写真とともに、黒川さんが設計したという情報が掲載された古いデータが残っていました。

http://hs-compass.com/news/index.php?y=2013&m=06&log_id=22

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北海道青少年会館コンパスホームページより

なるほど、これはオリンピックも招致したくなるだろうな、という風景です。

ところで、先の札幌大同生命ビル。よく見ると、黒川建築の要素が盛り込まれているのがわかります。その一番の特徴は3階にある半公共空間。平面図で確かめるとわかりやすいのですが、正面に見える円筒の中におさまっている螺旋階段を上っていくと、3階の空中庭園に出られる構造になっています。

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黒川紀章建築・都市設計事務所作品集より

空中庭園から大同生命ギャラリーへ入ることもでき、そこでは多数の展覧会が開かれていたとか。ティーラウンジを備えているところも、らしいな、と思います。

オフィルビルの中で絵画を鑑賞し、お茶も飲む。エントランスの円筒といい、半公共空間といい、福岡市にある福岡銀行を思わせます。モーレツな時代の「ちょっとひと休み」といった感じでしょうか。

せっかくなので、別の角度からも撮ってみました。樹木を模した無機質な柱と植え込みの有機的な緑が織りなす、マッチングの独特さ。ガラス張りの内側から、緑が眺められる空間を作りたかったのでしょう。もしかして、これも建築と自然の共生なのか、と穿った見方をしてしまいそうです。

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以下は斜め向かいのビルに上り、窓からガラス越しに撮った写真です。左下に地下道へと入る入り口が見えます。

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本当はビルの中にも入りたかったのですが、残念ながら、すでに閉鎖されていました。入り口の周囲はすっかりベニヤ板で囲われて、こんな張り紙が貼られていました。

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万が一を期待して地下道に下りてみましたが、地下の入り口もシャッターが下りていて入れませんでした。

享年41歳。人間ならば、まだまだこれから働き盛りという年齢ですが、働きすぎてしまったのでしょうか。お疲れ様です。

ちょっぴり寂しい気もしますが、さようなら、札幌大同生命ビル!

駆けつけるのが、2日遅かった……。でも、その雄姿をギリギリ写真に収めることができて、満足です。