群馬建築ツアー日記(その2・いきもの建築)

前回ブログでご紹介した「銀座たてもの展実行委員会」主催、群馬建築ツアー日記の第2弾。今回は、群馬県高崎市を拠点に活動している建築家、藤野高志さんの事務所「天神山のアトリエ」(ホームページはこちら)を訪れた際のレポートです。写真は、窓越しに建物の中を撮影したもの。藤野さんが雑誌を手に竣工当時の様子などを説明してくれました。

ご覧のように、内部は樹木が青々と生い茂っています。建物の外ではなく、中です(笑)。オレガノやレモンバーベナ、ローズマリーなどのハーブがたくさん植えられているため、妙にハーブティーが飲みたくなる建築です。

ちなみに、藤野さんの事務所の屋号は「生物建築舎(いきものけんちくしゃ)」。たまに、花屋さんと間違えて入ってくる方がいるのも、うなづけます。

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最初に藤野さんとお会いしたのは中銀カプセルタワービルの中。ゆっくりお話できたのは10月22日、銀座で開かれた藤野さんの展覧会「空間を感じること」を観に行った時でした。

会場は銀座1丁目にある奥野ビル。1932年、昭和初期に建設されたレトロな建物です。手動式のエレベーターが、今なお使われ続けています。

その306号室では、長い間、ひとりの女性が美容室を開業していたそうです。昭和60年代に美容室は廃業しましたが、その後も女性は部屋を住居として使い続け、2009年、100歳を迎えた直後に亡くなりました。

有志のメンバーが部屋を借り受け、「銀座奥野ビル306号室プロジェクト」が始動。家賃を負担し合いながら、可能な限りオリジナルな状態を維持しつつ活用する非営利活動を続けています。今回の展覧会も、その306号室で開催されました。

プロジェクトの説明文にはこうあります。

ペンキや壁紙が時事刻々朽ちて剥落し、前の借主の記憶は漂白されつつあります。昭和初期から平成初期にかけてひかれた一本の線は、次第に点線になり、点と点の感覚が大きくなり、その間隔が肥大化したとき、忘却されるのでしょう。「維持」というのは、こうした時間の経過に意図的に介入するのはよそう、ということです。

近現代建築を保存するのは、「遺跡」を保存するのとは違います。建物は日常的に使われてこそ、命が宿るもの。

というわけで前置きが少々長くなりましたが、以下が、そんな奥野ビルで開催された展覧会の様子を収めた写真です。真ん中の写真に小さく写っているのが、藤野さんです。

今回の群馬建築ツアーでは、「Futuro」(1968)から歩いて「天神山のアトリエ」へと向かいました。外観は2011年3月号の『新建築』に掲載されている写真をご参照いただましたら。この号、なぜか我が家にありました。しかも、それに気づいたのはツアーに参加した後でした。

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全体を模型で見ると、こんな形をしています。

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『新建築』の写真ではまだ小さくかわいらしかった樹木も、数年ですっかり成長し、人間の背丈をはるかに追い抜くほどに。

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「このままだと、いずれガラスの屋根を突き破ってしまうのでは?」と質問したら、藤野さんは笑ってこう答えました。「そーなんですよ、だから定期的に登って先端の枝を切らないといけないんです」。ちなみに、屋根も年に一度は自分で登ってお掃除しているそうです。

開閉式の窓ガラスは最近、開けっ放しのことが多いのだとか。外部の壁を伝う蔦が建物の中に入ってくる一方で、中の樹木が外へ出たがっていて、閉めるに閉められない事情もあるよう。ひっきりなしに風が通り抜けるため、建物の中にいながら、外にいるのとほとんど変わりがないような気も……。

見学者「雨が降ってきたらどうするんですか?」

藤野さん「床は土間で地面とつながっていますから、(水を吸収してくれるので)大丈夫です」

見学者「雪が降ったら?」

藤野さん「多少の雪ならそのままで。あまりに吹雪くようなら、閉めますけれど」

ちなみに、事務所のスタッフさんは各自、ヒーターで自己防衛していました。女性スタッフは室内でもコートを着用。

春先は、蝶々(蛾も含め)が迷い込んで来ることもあるそうで、そばに、息絶えた蝶を埋葬するお墓も作ってあるとのこと。が、自然の力恐るべし。現在はその上に草が生い茂り、「近づくのもひと苦労(笑)」とか。なにしろ、もとは畑です。心地良すぎて、草もしっかり根を張ります。

動植物に優しい環境は人間には厳しく、人間に優しい環境は動植物には厳しいもの。自然と共生するということは、日々、これ闘いです。人間は強くなくては生きていけないでしょう。決して生ぬるくはありません。

事務所スペースの奥、わずか6ミリの白い鋼板壁で仕切った先には、当初、藤野さんがねぐらとして使用していた地下室もありました。仕事を終えると、毎晩、床下を開け、窓のない秘密基地のようなねぐらへ潜って寝る。朝になると、むくむくと起き出して、床を開けて出てきていたそう。

日々、墓の中から生き返ってくるゾンビ━━を想像してしまいました。

雪深い南会津(福島県)に暮らしていた時、自分で小屋を建て、電気毛布ひとつで寝ていたこともある藤野さん。温厚そうに見えて、じつは、野生児のようにたくましい一面を持っています。

そんな藤野さんの許可を得て、ご本人が2014年、You Tubeにアップした映像を貼り付けます。光、音、風。残念ながら今回ツアーに参加できなかった方も、四季折々に表情を変える建築、時の流れを映し出すその姿をお楽しみください。

【補足情報】

イタリア国立21世紀美術館(MAXXI、設計は故・ザハ・ハディド)で開催中の展覧会に、藤野さんの生物建築舎も出展しています。よく見たら、参加建築家に故・黒川紀章さんの名前も!下記の詳細情報は生物建築舎日記から転載させていただきました。

展覧会名:日本住宅建築展 The Japanese House: Architecture and Life after 1945
日時:2016.11.9-2017.2.26
会場:イタリア国立21世紀美術館(MAXXI)ローマ
主催:国際交流基金 イタリア国立21世紀美術館
製作:国際交流基金,イタリア国立21世紀美術館,バービカン・センター,東京国立近代美術館
協力:アリタリア-イタリア航空
学術協力:塚本由晴(アトリエ・ワン 東京工業大学教授)藤岡洋保(東京工業大学名誉教授)
展示デザイン:アトリエ・ワン(ローマ会場)

キュレーター:保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)
Pippo Ciorra(イタリア国立21世紀美術館 シニア・キュレーター)
Florence Ostende(バービカン・センター キュレーター)

参加建築家:
相田武文,青木淳,東孝光,アトリエ・ワン(塚本由晴+貝島桃代),阿部勤,安藤忠雄,五十嵐淳,生物建築舎(藤野高志),生田勉,池辺陽,石上純也,石山修武,伊東豊雄,乾久美子,o+h(大西麻貴+百田有希),大野勝彦,岡啓輔,柄沢祐輔,菊竹清訓,岸和郎,隈研吾+篠原聡子,黒川紀章,黒沢隆,金野千恵,坂倉準三,坂本一成,篠原一男,島田陽,白井晟一,清家清,妹島和世,丹下健三,手塚建築研究所(手塚貴晴+手塚由比),ドット・アーキテクツ(家成俊勝+赤代武志),中山英之,難波和彦,西沢大良,西沢立衛,西田司+中川エリカ,長谷川逸子,長谷川豪,畠山直哉,坂茂,広瀬鎌二,藤井博巳,藤本壮介,藤森照信,前川國男,増沢洵,宮本佳明,毛綱毅曠,山下和正,山本理顕,吉阪隆正,吉村順三,アントニン・レーモンド

群馬建築ツアー日記(その1・あっかんべー建築)

11月12日、銀座たてもの展実行委員会が主催する群馬建築ツアーに参加してきました。銀座たてもの展実行委員会とは何か。詳細はリンク先をクリックしていただきたいのですが、ここではそこにある説明を一部引用し、ご紹介に代えたいと思います。

Architecture Exhibition in Ginza 銀座たてもの展実行委員会

中銀カプセルタワービル(銀座8丁目 1972年竣工)と奥野ビル(銀座1丁目 1932年竣工)を拠点に様々な文化活動を実施。近現代建築を活用し、「地域の文化資源」としての建物の存在する意義を問いかけ続けている(展覧会、見学会、アートプログラム等の企画実施)

今回の群馬建築ツアー、参加費はたったの1000円!(交通費は別途自己負担)しかも、その一部は中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトに充てられるのです! 自称・黒川紀章研究家、今のところ唯一の評伝を書いた者としては、応援しないわけにはいかないでしょう。というわけで、当日の模様をごく簡単にレポートしたいと思います。

13:00  JR前橋駅に集合。案内役の声かけで、なんとなくツアーが始まりました。総勢10数名。見知った顔もチラホラ。みなさん、静かです。大人が無言のまま団体でゾロゾロと街中を歩いていると、不思議なのでしょう。「なんだ、なんだ?」と驚いてこちらを見ている人を発見すると、ちょっとした遠足気分に浸れます。

13:20頃、最初の目的地である「学校法人 フェリカ学園」へ到着。そこで、マッティ・スーロネンの「Futuro(フトゥロ)」(1968)を見学しました。

初めての建築と対面するのは、まるで、釣り書きしか読んだことのない相手とお見合いするような気分です(実際したことはありませんが)。ドキドキしながら、対面の瞬間を待ちました。と、思わず「こ、こ、これはあっかんべー建築……」。

ド素人の感想ですみません。でもこの感じ、下記左上の写真を見たら、わかっていただけるかなと思うのです。青い階段の部分があっかんべーしているように見えませんか?

もちろん、ふだんは階段になっている入り口の扉は閉まっているので、このようにあっかんべーはしていません。

今回は特別に、学園理事長直々に、中をご案内いただきました。

専門的な観点から説明すべき点はいろいろあろうかと思いますが、それは、どなたか他の方にお任せするとして、私からは「フトゥロって、いったいなんだ?」と疑問に思われた方に向け、この建物について簡単にご紹介だけしておきたいと思います。

フトゥロは1968年、フィンランド人建築家、マッティ・スーロネンにより、週末用のレジャーハウスとして設計されました。冷戦下、アメリカとソビエトが激しい宇宙開発競争を繰り広げていた時代です。宇宙時代を反映し、世界中で近未来的デザインのものが多数、誕生していました。フトゥロもそのひとつです。

近未来的デザインを可能にした素材のひとつはプラスティック(合成樹脂)でしょう。鉄・ガラス・コンクリートを使った建築はどうしてもカクカクしてしまいます。プラスティックを使えば、成形のしかたによって、いかようにでも形が作れてしまう。それまで難しかった丸みを帯びたデザインの製品が大量生産できるようになったのも、この頃からです。

フトゥロはプラスティックの一種である強化グラスファイバー(FRP)で、できています。1968年当時はまだ高価でしたが、軽くて耐久性にも優れたFRPは未来の建材として注目されていました。それを使ったフトゥロも当然、「未来の住宅」。火星に建設されたNASAの秘密基地のような外観から「UFO住宅」と呼ぶ人もいたようです。たしかに、今にも飛び立ちそうな見た目ではあります。

とはいえ、そのつくりは「UFO」というよりも「みかん」に近いそう。先に紹介した右下の写真を見ていただくとよくわかるのですが、上から眺めると「みかんのヘタ」のような突起が見えます。要するに、あの突起で上下それぞれ8等分(計16分割)した「みかんの皮」を留めている、と想像していただけるとわかりやすいかな、と思います。

ちなみに、下から見るとこんな感じ。電気や上下水道など設備配管は下の穴から通します。電気の配線が、ふうせんに付いた紐のようにも見えます。

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部材をヘリコプターで運び、山の上などで組み立てて使うことが想定されていたようで、実際、アメリカやソビエト、オーストラリア、南アフリカなどへ輸出された実績もあるそう。日本では70年代初頭に2戸輸入され、そのうちの1戸が、この群馬県前橋市にあるフェリカ建築&デザイン専門学校に設置されています。北欧デザインなので、日本に置くと「冬は暖かいのですが、夏は暑くて大変」という理事長の解説に、しみじみと実感がこもっていました。なかなか環境・風土からは自由になれないのが、建築というものの宿命のようです。

「フトゥロ」について詳しく知りたい、という方はぜひ、学園のホームページにある紹介をご覧ください。

もっと写真を見たい、という方はカーサ・ブルータスの記事なども、参考にされてはいかがでしょうか。

映像で観たい、という方向けにはドキュメンタリー映画もあります。私、DVDも買っちゃいました。フィンランドの映像作家、ミカ・タニラさんが監督した『FUTURO Dreaming Future House:1968』という作品ですが、日本語に翻訳すると『北欧・謎のUFO住宅を追え!』となり、川口浩探検隊(古くて年がバレます)のようなムードが漂うのは、なぜなのでしょうか?

まじめに書けば書くほど笑いの要素が強くなってしまう筆者にとっては、そちらの方が切実に解明したい謎であります。

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最後に、自称・黒川紀章研究家としてひとことだけ。

フトゥロはヘリで運ぶことを想定していましたが、黒川さんのカプセルは車で運ぶことを想定していました。ですから、マイカー時代を象徴する建築とも言えます。中銀カプセルタワービルを構成している個々のカプセルは実際、その形も大きさも、建築確認申請がいらないギリギリ、車両で運べる最大限を想定して作られています。単なるおもちゃの「積み木」とは、その辺が大きく違います。

フトゥロも黒川さんのカプセルも、大量生産されて世界に飛び立つはずが、オイルショックを契機に計画が頓挫しました。そのような数奇な運命を辿ったふたつの建築が現存して見られるのは、日本だけです。

今回の群馬建築ツアーは中銀カプセルタワービルの元住人で、建築家の藤野高志さんがフトゥロを見た際、カプセルタワーに住んでいた当時を思い出したというエピソードから企画されました。次回のブログは、群馬建築ツアー日記第2弾として、藤野さんの事務所をご紹介しようと思います。

11月のお仕事情報

News picksの「イノベーターズ・ライフ」でカレーハウスCoCo壱番屋創業者、宗次德次さんの半生を紹介するシリーズを担当しました。11月5日から公開で、11日現在、7回目まで更新されています。有料会員限定で全21話とやや長いですが、よろしければ。このコーナー、担当したのはこれで4人目となりました。

来週あたり、そろそろ別のサイトでも担当した記事が出るかな。思えば、どちらも取り掛かったのは8月でした。

連載モノはどれもだいたい2、3ヵ月前から準備を始めます。事前に本を読んだり、過去記事を調べたり。インタビューしている時間は短くても、トータルで考えると、案外、長丁場になります。分量が多ければ、それだけ書くのにも時間がかかります。

そうこうしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまい、書こうと決めた本の原稿が一向に進まない、という要領の悪さ。

イノベーターズ・ライフは編集部の企画ですが、自分で企画立案した場合は基本、アポ入れから担当しています。時には写真も自分で撮ったり……。腕を補うため、最近、カメラも新調しました。新しいカメラはやはり、いいですね。